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【3つの世界】

普段、自分の頭の中には、上手く言葉には出来ない自分の内の本能のようなものがいくつか存在しています。これは言語化できないけれども何か確信的なもので、すでに自分は感覚的に理解しているというような予感があるものです。このもやもやは、ある日突然、こういう事だったのかと言語化できることがあります。

数日前「3つの世界」について、自分の中で言葉として理解することができました。私たちが、普段目を覚ましている世界。いわゆる現実世界が3つの世界のひとつ。2番目の世界は、眠っている状態の夢の世界。これは、夢を見る見ない関わらずです。3番目の世界は、精神世界。己の内に入っていく内面の世界です。

作品を制作するという行為は、現実世界から精神世界に突入していくという行為で、その感覚は、例えば、深い海の底を目指して素潜りするような感覚に近いと思います。物理的に体が傷付くことはないにしろ、頭の中と精神がすり減り、気楽には進めない。自分が日々の作品制作に取り掛かる前、必ずノートへ制作開始時刻を記すことから始まる一連の手順を踏むのは、現実世界から精神世界に進むための意を決する行為なのだと理解したのです。

精神世界と現実世界は別の世界なので、自己の内面と向き合うべき作品の制作中には現実世界にある意識を排除していく必要があり、そのための唯一とも言える方法は目の前のことに集中するということしかなく、つまりは何も考えない無の状態を目指すということになります。

実際の制作中には何かしらの言葉なり考えが頭の中に沸いてきてしまい、頭で何も考えないということは本当に難しいことだと痛感する日々ですが、最近、以前には無かったこととして、自分の心臓の鼓動だけを感じるときがあります。恐らく、無音で耳に栓をしながら制作をするようになったので、どくんどくんと胸を打つ振動が己の体の中を伝わり、それを音として感じているんだろうなと思いますが、この状態のときは無の状態ではないにしろ、制作が捗ることが多いような気がします。

父親が「手紙」を使った個展を開いた際、会場に置いたメッセージ

自身の個展会場の設営を終えた父は、その場でさらさらとこれを書き、入り口の棚に置いた。 改めて日付を見ればたった3年前のことだけど、そうとは思えないほど遠い過去のことだったように思える。これを会場で読んだ当時は、 親父もなかなか大変なんだなといった感想をもったような気がする。 今読むと、意味があろうが無かろうが、継続こそが全てであると教えられる。

最近、感動したことは、すでに画家として活動しているまだ若い年代の女性の方が、細い絵筆を持って、画面ギリギリまで目と顔を近付けて作品を制作している写真を目にしたことです。強い集中力を感じ、自分もそう在りたいなあと思った次第です。

AFX/Stabbij


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