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【精神論と理】

作品の制作中は画面を汚してしまうことを嫌って作品の全面を紙片で覆い、その日、線を描き入れる部分のみを少しだけ開いてペンを進めています。全ての紙片を取り除いてみることは稀で、制作中の作品の全貌については自らもわからず、頭の中にあるイメージだけを頼りに描き込んでいました。

この制作手段のメリットとして、意図的にバランスを取ることを排除でき、画面に生まれる表情が作為的になりすぎないことだと思っていました。今年の春ごろ、制作中の作品の画面を覆っている紙片を取り除いてみた所、想像していたものとは違う表情のものになっていてショックを受けました。

なぜ、思うようなことになっていなかったのかと原因を考えてみましたが、3年以上の間、毎日同じように線を描き続けたことで良くも悪くも安定して、思い切ったことが出来ないということが原因のひとつだと思い至りました。制作中の画面を覆い隠して作為的なものを排除するということについても、もしかしたら根本的に改めるべきことなのかも知れないとも思いました。

ともあれ今の状態は、自分の作品形式を生み出していく過渡期であると受け止めているので、改善すべきは改善しつつ制作していくつもりです。

 

「精神論と理」

迷路作家を志して最初の作品を描いていたときに、制作の原動力として自分を支えていたものは、精神論に拠ったものが大きかったと思います。体調や、制作中の室内環境、ペンから滲み出てくるインクの状態のほか、あらゆるコンディションが悪くても、描かねばならぬし描けるはずだと自らに言い聞かせながら、半ば強引に制作を進めることもありました。

作品の制作を続けていくためには、強い精神力は必須のものだと思います。時に、精神論に拠って強引に物事を突破することも大切ではありますが、ここ最近は理に寄り添って制作することを強く意識するようになりました。

理について具体的な例を挙げてみると、全てが当たり前のことばかりです。雨など湿度が高い日は線のエッジが滲み、気温が高すぎたり低すぎたりするとインクの粘り気は変わってしまい、集中を高めていくためには限りなく無音で、視界に余計なものが入らない状態が望ましく、制作中の眠気は無い方がよくて、あまりに空腹でも逆に腹が満たされていても制作は捗らないといったことです。

もう少し例を挙げると、モノが見えるということは光が反射しているからで、眩しさを感じるまではより明るい方がモノの状態がよく見えるということや、インクは乾くまでは液体なので表面張力が働いているということもあります。

理は、原因と結果、因果関係を明確に成立させるように思います。

湿度については常に除湿機を運転して一定以上にならないようコントロールし、季節に応じて冷房や暖房を使ってストレスのない体感温度となる環境をつくり、手元だけに集中できるよう手元灯以外の部屋の照明は全て落としてしまい、イヤーマフを使って限りなく無音の状態を作って、睡眠は十分取るようにする。腹は八分目がよいし、手元灯はなるべく明るい方がよく、インクが乾くまでの線が濡れている間は、表面張力を利用して線のエッジを整えることができる。

自然の法則に逆らわず上手く対応することで、必然的によい状態が生まれます。理に逆らうような制作の進め方をすることは、無理をするということであり、無駄に時間ばかりが消費され、得られる結果はけしてよいものにはなりません。

日々の制作は単調で、何か大きな変化を感じる瞬間はほとんどありませんが、ひとつひとつの当たり前に気付きながら、最善の状況を作っていきたいです。

 

下の写真は、昨年の夏ごろに町で見かけた消火栓の標識です。

文字の表面のひび割れた模様がすごくきれいだと思い写真に収めました。

この模様は出鱈目に出来たものではなく、標識が立つ場所の気候条件や、経過した年数、文字の面積、ペンキの色、塗装の厚さ、下地の種類など、標識を取り巻いているあらゆる状況と条件から、必然的に生み出された模様であるという所に、なんとも言えない美しさを感じてしまいます。

昨晩、何気なく外を見ると、まんまるの月が夜空で輝いていました。

これは写真に写さねば!と、カメラ片手に外へ飛び出した次第です。

The Chemical Brothers/Saturate


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