【2012年を迎えて】
明けましておめでとうございます。新たな1年が始まりました。個人的な部分で昨年を振り返ってみると県外で工事のあった現場の監理や迷路に関することでの移動など、およそ1月半~2ヶ月に一度くらいのペースで自宅を空けることが多く、例年に無いくらいあっという間に過ぎた1年でした。自分が思う迷路を具現化していくということが大きな命題なので、2011年はこれに沿った1年とすることが出来たかどうかを思い返してみると、本筋ではブレることなく概ね良い過ごし方が出来た1年だったように思います。
新たな1年を過ごすにあたり、先月中頃に見かけたある作家の方のツイッターでのつぶやきを要約したものを紹介したいと思います。
「 1日に1マスずつ数字に書き出していくと、1年は原稿用紙1枚にも満たない。 人生80年生きたとして、原稿用紙80枚である。 この短編小説を良くするかどうかは、その中身の日々の積み重ねしかない。 」
この言葉を見つけたとき、意識しないと漫然と流れていく1年という区切りを具体的なボリュームで想像することが出来ました。本日より、すでに今年の分の原稿用紙には文字が書き込まれ始めました。何かをしても、何もしなくても、同じ1年という時間を過ごしていく訳ですが、出来得る限り何かを残す形での日々の過ごし方で原稿用紙のマスを埋めていきたいです。
先月初旬、過去に自分が暑中見舞いを出した方より電話がありました。会話の途中、「以前、迷路が描かれた暑中見舞いを受け取った事がある」と言われ、自分の記憶の中には無い話だったので一体どのような迷路なのかを尋ねてみると、「赤や青や黄色でデザインされた迷路が描かれている」と説明をされたのですが、これを聞いてもまだ思い出すことが出来ませんでした。素直に自分では覚えていない旨を伝えると、暑中見舞いの現物を自分宛に送り返してくれるという話になりました。後日、自分の手元に届いた暑中見舞いが以下のものになります。
書かれた西暦を見ると「2002年 盛夏」となっているので、ちょうど10年程前に描いたものです。「2級建築士を取れるよう頑張ります」とも書かれており、当時の状況などは思い出せるのですが(幸いなことに、一度の受験で合格することが出来ました)この10年ぶりに見る書中見舞いと再会した際、このような迷路を描いたことがあったのだろうか?と、まだ自分の記憶を取り戻すことが出来ませんでした。
思い出せないままじっと暑中見舞いを眺め、10分近くの時間を経過して、これは確かに自分が描いた迷路であると思い出すことが出来たのですが、ここまで完全に忘れ去ってしまっていた原因として、自分の中で最後に描いた迷路は19歳当時に描いたものだと思い込んでいた事や、この暑中見舞いに描かれた迷路は仕事の空き時間を使って、コピー紙の裏に深い考えもなく描いており、必要枚数の印刷をした後、原稿も捨ててしまったか紛失していて手元になく、この年は建築士の受験勉強で気忙しくもあったことなどが挙げられます。
今回、この暑中見舞いの話を取り上げたのは「理屈ではない必然性」について、改めて自分自身が考える契機になったからです。自分の過去を振り返った際、意識的ではなく、点々と迷路を書き残している。その始まりは自分が7歳か8歳の頃まで遡ることが出来、30年近くが経った現在の自分に一貫したものとして繋がった。これは、迷路の中に自分にとっての必然性があったからこそだと思えるのです。
次回の記事では、自分の迷路を誰に届けたいのかについて書きたいと思います。
文末になってしまいましたが、本年も宜しくお願い致します。