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【考え方と出来上がるものの基準作り】

5月の連休明けよりほぼ同時進行で進んでいた住宅のリフォーム工事2件が、どちらも先週末までの間に完成し、無事に引渡しする事が出来ました。現場対応の合間に迷路作品の制作を進めていましたが、制作に着手してから1年が経過したこともあり、改めて迷路に関することを書いてみたいと思います。

まず作品の制作に着手した当初を思うと、15年ぶりに描く迷路という事もあり、自分が描く線の性質や迷路の線が描く模様、作品の制作スピードなど全てが手探りに近い状態であり、3ヶ月もあれば作品を完成させる事が出来るなどと思っていましたが、実際に制作を進める内にそれが無謀な設定だと知りました。

その理由は今回の作品の制作サイズから来るボリュームもありますが、線の性質や描きあがる迷路の模様などに対する自分なりのこだわりが日増しに強くなっていき、あまりイージーに迷路を描き進める事が出来ないとわかったからです。

ここで言うイージーとはなるべく単調な折り返しと模様で画面を埋めていくという意味になるのですが、制作を進めていく中で迷路に関する自分の考えというのもより強固に出来上がっていき、その考えに従うと現在制作中の作品については、自分自身が迷いながら線を描いていくという事が何よりも重要な事であるという意識を持つようになりました。

何故、そのような思いに至ったのかを言うと極めてシンプルな事で、「人が迷いという感情を持つようになった時こそが、迷路の生まれる要因であった」という自分なりの持論を得たからです。この持論を自分の作品の中に反映させると、自分自身が迷いながら描くという事が迷路としての原点回帰になると考えたのです。この考えは仮に3ヶ月で作品の制作が完了していた場合には至らなかった考えで、これ以外にも迷路とラビリンスの関連性やそれぞれの発展していった歴史、ラビリンスが果たしたであろう精神的役割など、自分が迷路作品を作っていく上での基準として持っていたい事を制作に着手してからの1年の間に得る事が出来ました。

今年に入ってからは、ある意味、運命的とも取れる出来事や出会いもあったり、全ては結果論となってしまいますが、自分にとって良い1年を過ごす事が出来たと思っています。 描き始めた当初は画面の余白である白い部分が多く、ある意味、自由気ままに迷路を描き進める事が出来ました。現在、自分自身が生み出した迷いの模様が画面全体をまだらに侵食しており、この迷いの模様の隙間を新たな迷いで埋めていくという作業を行っています。

迷い悩むという事は、自分の中の基準が出来上がってないからこそだと思います。不整形に残った迷路の余白部分を新たな迷路で埋め進めている時に考えるのは、次はどのような方向に線を引こうかという事になるのですが、これは自分の中で、出来上がる迷路の模様や線の基準がまだ曖昧な状態であるからこそと言えます。

迷いを突き詰めると、最終的に出てくる答えというものはすでに決まっています。この答えは僕が決めた答えなどではなく、陰と陽のような関係で存在しています。迷いを突き詰めるとどのような答えが出てくるのか?それは、迷いなく進んでいける状態を示す言葉になりますが、迷いに対する答えを求めていくという行為こそが、現在の自分の作品制作の基本姿勢であるような気がしています。


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