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【見えない「何か」が見えてきた】

今回は、前回予告しました「現場で拾ってきた木材の切れ端に装飾するシリーズ」を紹介するつもりでしたが、本日未明、「ラビリンス」に抱いていたモヤモヤを解消する「何か」が見えてしまったので、先にそちらを記事にしたいと思います。

自分が「ラビリンス」の制作中に抱いていたモヤモヤというのは、出来上がったモノに、言葉では説明のつかない「何か」(パワーみたいなもの)が宿るだろうか?ということで、この「何か」は、サイトのTOPに使用している迷路には、ちゃんと備わっています。

TOPに使用している迷路は、今の自分が見ると線も拙く、インクも滲んでしまっていて、テクニックも洗練されておらず、只、がむしゃらに描き込んであるだけというものですが、最終的に出来た結果として、歪に余った余白をインクの塗りつぶしで処理した部分や、次第にペンの扱いにも慣れ、書き込み密度が密になっていく過程など、全体を見た際、迷路を超えた「何か」を感じさせるものになっていました。

よく「自分との闘い」などと言いますが、自分にとっての「ラビリンス」の制作というのはまさしくこれで、過去の自分に負けるワケにはいかないというプレッシャーが常にあり、このプレッシャーの源泉というのが、今回、くどくどしく書き連ねてきた「何か」になります。通常、何かの作品を作るときは、最初にコンセプトがあり、これに基づいてスケッチをし、必要に応じては下絵の制作を行うなど、ある程度入念に完成形の姿をイメージして、制作者自身が制作に取り掛かる前に、完成のビジョンを持つのではないかと思います。(当然、これに依らない表現や制作手法があることも踏まえた上での話です)

自分の場合、おおまかな作品の完成ビジョンは持っていますが、実際の制作に於いて迷路を構成するライン自体が偶然性に依る部分も多く(例えば、部屋の湿度の影響で、突発的にインクが滲むようなことがあれば、咄嗟の判断で迷路のラインを逸らします)また、最初から迷路のラインに決まりごとを設けていないので出来たものが全てという、制作者である自分自身も最終的な作品の完成の姿が見えづらいものとなっています。

そんな中、本日未明、「ラビリンス」の制作中に、ふと、描き込んでいる画面を見てみると「完成形の尻尾」のようなものが見えた気がし、その中に「何か」の気配を感じたのです。

本日未明、見えない「何か」を感じた直後の「ラビリンス」

制作中、絶えず記録している「制作ノート」(制作時間を記録しています)に記載された現在までの制作時間を、本日、初めて計算してみました。およそ、450時間でした。制作に時間を掛ければ、掛けた時間だけ見えない何かが宿るとも思っていませんが、見えない何かを生み出す要因のひとつにはなるはずだとは思いますし、自分の作品は、とにかく、ひたすらに画面を埋めていくという、時間なくして生まれない表現になるので、この見えない「何か」を宿すための条件みたいなものはあるはずだと信じたいです。

まだ、尻尾が見えたくらいのことなので、その「何か」の中にどれくらいのパワーが宿るのかは未知数ですが、おそらく、19歳のときに描いた迷路とはまた違った形の「何か」が宿るのではないかと思います。


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